2024年春以降、日本のメディアは「電気自動車(EV)失速」という言葉を頻繁に使い、EV市場の減速を繰り返し報じてきた。テスラや比亜迪(BYD)など大手EVメーカーの販売減少を、その象徴として取り上げる例が目立った。ただし、それは一面的な切り取り報道であったことも否定できない。
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現在もなお、多くのメディアはこれを既成事実として扱い、販売の伸び悩みを強調する一方で、ハイブリッド車(HV)やエンジン車の延命を有効な対策とする論調が目立つ。EV普及を妨げる要因としては、
・車両価格の高さ
・航続距離への不安
・充電インフラの不足
・バッテリーの安全性
などが挙げられ、もはや決まり文句のように繰り返されている。
だが、これらの課題は日本固有のものではない。多くの国や地域が同様の障壁を抱えながらも、EVの普及を着実に進めている。実際、世界全体ではEV市場は成長を続けており、地域ごとの販売データを見ると、EV導入の地政学的な偏りも浮かび上がってくる。
これまで、日本でEVが普及しない理由については深く掘り下げられることが少なく、表層的な分析にとどまっていた。本稿では、世界的に成長を続けるEV市場の実態を検証し、日本で普及が進まない根本的な要因に迫る。
2025年7月時点でも、EV失速を強調する切り取り報道が続いている。たとえば、BYDの2025年6月の新車販売台数は、前年同月比で12%増の38万2585台だった。にもかかわらず、日本経済新聞は同年7月1日、「BYDの新車販売は、2024年3月から前年同月比で2割超の増加率を保ってきたが、2025年5月は15%増にとどまり、6月も伸びが鈍化」と報じた。
テスラについても、2025年4~6月期のEV販売が、1~3月期に続き2四半期連続で10%超の減少となったことが各メディアで一斉に取り上げられた。
一方で、世界のEV市場は堅調に推移している。英調査会社RHO MOTIONによると、2025年5月のEVおよびプラグインハイブリッド車(PHV)の世界販売台数は約160万台で、前年同月比24%増。2025年1~5月の累計販売は約720万台、前年比で28%増加している。市場全体としては依然として成長基調にあることが、数字からも明らかだ。
地域別に見ると、中国が世界のEV販売の約6割を占める。欧州が2割、北米が1割、その他地域が1割という構成だ。2025年1~5月の前年同期比では、中国が33%増と最も高く、欧州が27%増、北米は3%増にとどまった。欧州と北米はいずれもグローバル平均の28%を下回っている。一方、中国は市場全体を牽引しており、地域間の成長格差が顕著になっている。日本のEV販売台数はきわめて少なく、統計上は
「その他」
扱いにとどまる。この地域差の背景には、各国のCO2排出規制や燃費基準など、制度面の違いがある。とりわけ、強制力をともなう規制を導入している国ほど、EV市場の成長と明確な相関が見られる傾向にある。
欧米をはじめとする主要国は、自動車の燃費基準として「CAFE規制」を導入している。CAFEとは
・Corporate
・Average
・Fuel
・Efficiency
の略で、「企業別平均燃費基準」を指す。CAFE規制は、自動車メーカーごとに平均燃費やCO2排出量を算出し、年間販売台数を考慮した一定基準を超えた場合に罰金を科す制度である。1970年代のオイルショックを契機に米国で導入され、現在はEUや日本などでも採用されている。
メーカーは、ガソリンを使わないEVの販売比率を高めることで、CAFE基準をクリアしやすくなる。燃費の悪い車の販売を補うために、EVを
「数合わせ」
として活用する構図だ。このため、CAFE規制が強化されるほど、EVの戦略的価値は増し、メーカーはより多くのEV販売を余儀なくされる。このサイクルによって、CAFE規制強化はメーカーにEV販売を強制する効果を持つ。
各国のEV政策を振り返ると、まず中国では中央政府が主導する「新エネルギー車」振興政策がある。メーカーには一定のEV販売比率を義務付け、消費者には地方政府を中心とした補助金や都市部のナンバープレート優遇などのインセンティブを提供している。これにより、中国のEV市場は順調に成長軌道に乗っている。
欧州はCO2排出規制を強化し、基準超過のメーカーに厳しい課徴金を課している。これにより、メーカーはEVやPHVの販売を強化せざるを得ず、EV普及が進展している。
米国ではバイデン政権下でインフレ抑制法(IRA)が成立し、EV購入に対する税額控除「クリーンビークル税額控除」が運用されている。EVやバッテリー工場の建設にも補助金が支給されている。加えて、カリフォルニア州などでは独自にZEV(ゼロエミッションビークル)規制を強化する動きも活発だ。いずれの国も、自動車メーカーに
「EVを売らなければ罰せられる」
という強制力を課し、政策としてEV市場の成長を促進する制度設計を進めている。
日本では2019年、国土交通省と経済産業省が「2030年以降に企業別平均燃費で25.4km /L(WLTCモード)」を新たな燃費基準値として発表した。日本市場には多くのHVが流通しており、既にこの基準を達成できるレベルに達している。PHVも高い燃費評価を得られる制度であり、日本メーカーにとって有利な環境が整っている。
そのため、無理にEV販売を増やさなくとも燃費規制をクリアできる緩やかな制度であることは否めない。トヨタのようにエンジン車やHVを延命するマルチパスウェイ戦略が正当化される背景にもつながる。こうした事情から、日本の燃費規制は実質的にEV普及を推進する役割を果たしておらず、むしろ
「HV延命策」
として機能している可能性がある。日本メーカーがHV依存から脱却できない根本的な原因は、
「燃費規制に縛られない環境が生まれ、それが温存され続けた結果」
である。多くの日本メーカーはHV販売に注力すれば燃費規制をクリアできるため、あえてEV販売を強化する圧力がかかっていない。
また海外でも、日本メーカーはHVをラインナップの中心に据えることで燃費規制をクリアしやすいアジア市場などに注力している。そのため、自動車販売に占めるEV比率を高める経済的動機が生まれにくい。
結果として、EV普及を促す努力や、EV価格を引き下げて競争力を維持しようとするモチベーションがメーカーに育たない。消費者にとってはEVの選択肢が狭まり、好循環を生む土壌も形成されていない。実際、日本で販売されるEVの約8割を輸入車が占める現状が、この実態を示している。
燃費規制の抜本的な見直しは、経済産業省や国土交通省の審議会でも議題に上っている。しかし、これまでの議論は限定的にとどまっている。背景には、自動車産業が日本の基幹産業のひとつであることがある。日本の国内総生産(GDP)や就業者数の約1割を占める自動車産業の重要性から、踏み込んだ議論が進みにくい状況だ。EVシフトによる変化を求めない業界の姿勢も、EV市場の成長を抑制する要因となっている。
さらに、EVに不可欠なバッテリー関連産業や充電インフラ整備との連携も十分とはいえない。このような不整合が、日本のEV市場を混迷させている。
政府のEV振興策の不作為は、長期的に国際競争力の低下を招く恐れがある。世界では燃費規制が成長の原動力となり、EV普及を加速させているが、日本だけが取り残されるリスクが現実味を帯びている。
欧州委員会は2035年までに、小型商用車を含む全ての新車をゼロエミッション車にする目標を堅持している。2025年1月から規制は厳格化され、2021年基準に比べ15%低いCAFE水準に抑制しなければならない。現時点でこの目標をクリアしているのはテスラとボルボ・カーの2社のみであり、日本メーカーを含む大半の自動車メーカーは規制値に達していない。
米国ではトランプ政権の政策にかかわらず、デトロイトスリーが燃費規制強化を前提にEVシフトを加速する戦略を打ち出している。
一方、政策による圧力が欠ける日本では、EV市場の規模も価格競争力も育っておらず、負のサイクルに陥っている。このままでは、世界的にEVが成長分野へ移行する潮流から日本だけが脱落し、日本メーカーが排除される可能性が高まる。
いまこそ、EV市場動向を冷静に見直すべきである。「EVは売れない」と拙速に断じるだけではなく、制度設計の再点検と戦略的な再構築が求められている。
日本がEV市場で国際競争力を維持するためには、企業と消費者双方へのインセンティブ構築が最優先の課題となるだろう。
2025-07-05T20:59:44Z